三つ子の魂百まで、というけれど幼い頃の習慣や性格は変わらないというのは真実だと思う。現在30代の人は幼稚園から小学校時代をバブルという化け物経済の中で過ごしたはず。その頃テレビドラマで隆盛を極めていたのが、トレンディードラマと呼ばれる恋愛至上主義的な物語で、登場人物、特に女性は恋愛に命をかけているといっても過言ではない描写がされていた。
象徴的なのが、クリスマス。イブを一緒に過ごす約束をしていた恋人が、電車が大雪でストップしてホテルに向かえない、だから今夜は一緒に過ごせない。そう告げると大粒の涙を流して泣く。たしかにこの状況だと、ドタキャンに近い形なので、涙するのも仕方ないけれど、それ以外にも「イブを一緒に過ごす相手がいないの、あら可哀想」みたいな蔑む描写がされていた。そんな状況なものだから、男性も女性も必死になってイブを一緒に過ごす相手を探していた。現実でも同じようなものだったのではなかろうか。
現在では考えられないかもしれない。別にクリスマスにひとりだろうがなんだろうが、人生に絶望するような、過ごす相手がいないからといって嘲笑の的になるような、そんなことはないはずだ。ただ、オーバー30の人は、この強烈な体験が脊髄に叩き込まれていて、マライヤキャリーの「All I want for Christmas is you」がラジオでヘビーローテーションされ始めると、悔しいけれど「そわそわ」してしまうのではないだろうか。僕もそのひとりだ。
もちろん恋人がいる場合はそんなことは感じないし、現在だとその感覚も薄れたように思う。でも20代の頃にはその感覚がまだあって、当時23歳だった僕は、クリスマスが近づくにつれそわそわしていた。それはもちろん、恋人がいなかったから。会社で働きながら、どうやって恋人を作るのだ、と。社員のだれかを誘うのか、と。いやいや、断られるに決まってる、こんなモブ野郎。そうなったら会社の笑い者になってしまうからそんなことはできない。実際には笑われることはないのだろうが、当時はそんなことを考えていた。
そういう場合、そわそわを解消するために僕らは何をしていたのか。もうお判りだと思う。そう通称「●ね●ね団」と呼ばれる同盟を作るのだ。つまり同じ境遇のものが集まって「クリスマスに別に恋人と一緒に過ごす必要ないよな」とか、「プレゼントあげんでいいし、お金もかからんしええな」とか、一聞妬みにしか聞こえない愚痴を肴にいっぱいやるのである。ちなみに、この崇高な目的で集まった団体は、当時日本中に存在していたはずだ。モデルとなった漫画の団体は、カップルにくだらない迷惑行為を繰り返しているのだけれど、僕たちはそんなことはしない。ただひたすら愚痴を肴に飲む。
23歳のクリスマスは、もちろん私たち(当時の会社の同僚のモブ弐号機)も団を結成し、イブを2人で過ごそう考えた。
モブ初号機(私)「どうしようか。とりあえずいっぱい飲もうか」
モブ弐号機(同僚)「…おお、いいね」
初「どしたん、なんかあんの。元気ないやん」
その問いに、弐号機がためらいながらも、企みを含んだ目で、僕を見てこう応えた。
弐「その…ナンパしに行かへん?」
今まで、そんなことをしたことがなかったモブ野郎の僕にとっては、その言葉の衝撃は、ベルリンの壁が壊れたくらいの衝撃だった。こいつ、僕らの人生の役割を壊しにきやがった、と。決まっていたはずの役割をここで変えようと。その行為はもろ刃の剣だぞ、傷つくのを覚悟の上なんだな。と、そんな考えが走馬灯のように一瞬で頭を駆け巡った後、実際には弐号機の投げかけから1秒もたたずにこう返した。
初「ええやん。いこうぜ」
お判りだろうか。モブ弐号機に、焦っていることを悟られるのが恥ずかしいと感じていた私は、強がった。120%の力で強がった。そして、ちょっと声が上ずりながら、楽しそうやんという雰囲気を醸し出した上で「ええやん、いこうぜ」を繰り出したのである。小心者の典型。
そこからの弐号機の動きは早かった。その動きを上司が見ていたら、「こいつは見込みがある」と関心していたはずだ。まだ昼間だったのだけれど、弐号機の車で神戸に向かった。当時、尼崎で寮住まいだったので、時間にすると30分~40分ほどの地獄のドライブだ。何が地獄って、本当はしたくない、帰りたいと考えているのに、楽しそうやんという顔を作って、本当に楽しそうにしている弐号機との会話に合わせなくてはならないのだから。
本当の気持ちを押し殺しておどけなくてはならないピエロのような僕に、弐号機はいった。
「で、どっちが声をかける?」
ちょっと意味がわからなかったけれど、彼はふたりではなく、ひとりで行くと。そして、そのひとりで行く方を決めようぜ、と。そう提案したようだ。とんだアイアンハートである。この時、僕がどう答えたかお判りになるだろうか。いやここまで読んでくださった方にはわかるはずだ。僕はこう答えた、それではみなさん一緒に、セイホ〜オ。
「じゃんけんでええんちゃう」
もちろん「はいはい、そのパターンのナンパね。わかりましたよ、じゃあこの場合はじゃんけんやね」というニュアンスで「じゃんけんでええんちゃう」だ。これ以上、弐号機より経験値が下だと思われたくない僕は、強がった上に、経験豊富な雰囲気を醸し出し、弐号機の上に立とうとした。
「おっけー」
と楽しそうに応える弐号機は、もう弐号機なんかではない。僕からすると、吉田●作に見えた。こいつ吉田●作だと。ドラマの中で、ホテルで待つ恋人に「雪で電車が動かないから行けない、ごめん」と慣れた口調で、予定のキャンセルを告げる吉田●作。なんて経験値が上なんだ。僕ももちろん楽しそうに、「よしよし、ほなじゃんけんやな」と笑いながら返したはずだが、その時ちゃんと笑顔が作れていたか、自信はない。
言っているうちに神戸に着いた。JR三ノ宮の駅前だ。時間は午後2時くらいだったはずだ。人でごったがえす駅前に彼が車をつけた。彼は、人目を気にしなかった。僕はめちゃくちゃ気にした、こんな人が大勢いる中でナンパなど、正気の沙汰ではない。でも楽しそうな●作に対して、弱みは見せられない。僕は言った、冷静に言った。
「もうちょっと車、前の方がええんちゃう。ほら邪魔になりそうやし」
場慣れ感。僕に必要だったものは、それだった。僕は冷静だよ、と●作に伝えたかった。それが僕ができた最後の強がりだった。冷静と緊張の間を、いったりきたりしていた感情は、それを境に一瞬たりとも冷静に戻ることはなかった。あとは、じゃんけんだ。神様がいるなら、これから慈善活動をするから、ぜひ僕に力を貸してくれと、あの時ほど強く願ったことはない。
「ほなじゃんけんしよか」
「最初はぐー、じゃんけん…」
神様はいた。僕の願いは届き、●作が負けた。彼は負けた後も「うわー、マジかぁ」と言いながら、楽しそうにしていた。こいつ本当に強いやつだったんだな、とその時、じゃんけんに勝ったけれど、もう完全に僕は●作に負けていた、人として。器の大きさで。これを機会に、関係を改めよう。敬意を込めて●作様と呼ばせていただこう、そう心に誓った。
「ほな、あの娘たちに声かけてくるわー」
●作様はそう言って、戦地に赴かれた。場所は車から5メートルあるかないかの場所だったので、●作様の声は聞こえた。もう、完全に負けを認めている僕は、彼から少しでも学ばせてもらおうと、彼の声に耳を傾けていた。彼が女性に近づき、口を開いた。
「あのやー、おれやー尼崎からきてんけどやー…」
「あのやー、お、れ、や…」「ANOYA OREYA AMAGA…」間違いなく、彼はこう言った。自信満々にそう言った。漫画の中にだけ存在するようなドヤンキーが言いそうな言葉が彼から出てくるとは思っていなかった僕にとっては、もはや日本語に聞こえなかった。そこから先の展開はお判りだろうか。横断歩道で信号待ちをしていた彼女たちは完全に「ANOYA」君を無視。それでも、しゃべり続ける「ANOYA」君は、どんどん耳を赤くしていく。目の前の赤信号よりも赤くなったんじゃないか、見ていられないと僕が目をつぶろうとした時にやっと青信号に。その時女子が気持ち悪がりながらスタスタと横断歩道を渡っていく姿は今でも忘れない。彼は、すぐに戻ってきた。穴があったら入れてあげたかった。それほど、凄惨な現場だった。しかし僕は嬉しかった。彼は、いや弐号機は強がっていた。それが嬉しかった。
言うまでもない、その日飲んだ酒は荒れた。人生何度目かのウイスキーにも手を出した。忘れたかった何もかも。これはトレンディードラマの功罪だ。もう二度とこんな事件を起こしてはいけない。クリスマスイブにバブル時代ほど浮かれなくなったこの現状をよしとしたい。ただ、弐号機のような事故を起こし、その後やけ酒を飲むのも面白かったなとも思うので、若い人にはぜひ強がって失敗をして、後で笑いになるような体験をして頂きたいものである。
“column:小林茶ノ目”