爆発的な経済発展を遂げたバブル期よりも前、戦前から日本の産業と生活基盤の礎を築いた近代化産業遺産群。現在も残っている建造物からは、当時の労働環境やその街の雰囲気もうっすらと感じられる。観光地として再注目されているものから、ほとんど廃墟のような状態で残っているものまで、栄枯盛衰の寂しさと美しさが同居する近代化産業遺産。今回は写真映えする関西の遺産をご紹介。
京都の近代化産業遺産といえば「インクライン」
湖国から古都へと水を運び、京都の暮らし潤いを与えた「琵琶湖疎水」。滋賀と京都の物流のハブとしても機能したこの産業遺産が完成したのは、1890年。全長約20キロメートルほどの距離をほぼ人力で開通させたそう。中でも第一トンネルの工事に関しては、大津側と京都側両方から掘りすすめるだけでなく、真ん中に竪坑と呼ばれる穴を掘り、両側に繋げていく当時の新工法が試されているとか。大津から蹴上まで疎水沿いを歩くと、山の中で竪坑を確認できる。「南禅寺」近くの「水路閣」は、赤レンガで組み上げられた水路で、近年は若い人の間で、撮影スポットとして人気を集めているとか。※詳細記事は紅葉の様子。
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琵琶湖疏水
住所:京都府京都市左京区南禅寺福地町86(南禅寺・水路閣)
駐車場:なし※近くに有料駐車場あり
兵庫から関西を支えた不夜城東洋一の規模を誇る「神子畑選鉱場跡」
兵庫県、生野の山の奥深くに「鉱石の道」と呼ばれるエリアがある。明延から神子畑、そして生野へと、鉱石や人、文化が運ばれた日本近代化の歴史と、現存する鉱山遺産群をつなぐ道のことだ。中でも生野銀山は多くの観光客が訪れる有名な観光地だけれど、遺産群の中でどうしても見てほしい遺産がある。全盛期には規模、生産量ともに東洋一と言われ、昼夜を問わず稼働し続けたことから「不夜城」と呼ばれる「神子畑選鉱場跡」だ。
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神子畑選鉱場跡(みこばたせんこうじょうあと)
現在の日本文化のルーツを感じられる度 ★★★★★
■住所:兵庫県朝来市佐嚢
観光地として定着した兵庫「生野銀山」
兵庫県朝来市にある日本有数の銀の採掘場「生野銀山」。室町時代から本格的な採掘が始まり、信長や家康の直轄地として時の権力者の財政を支えてきた。吉宗の時代の最盛期を経て、明治元年に政府直轄の官営高山に。明治29年には三菱合資会社が、国内有数の鉱山として採掘を行なってきたけれど、昭和48年に閉山。翌年昭和49年に観光施設として一般公開されている。
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生野銀山
住所:兵庫県朝来市生野町小野33-5
営業時間:4月~10月:9:00-17:30 (最終受付16:50)
11月:9:00-17:00 (最終受付16:20)
12月~2月:9:30-16:30 (最終受付15:50)
3月:9:30-17:00 (最終受付14:20)
Close:定休日 12月~2月の3ヶ月間のみ毎週火曜日(火曜日が祝日の場合は翌日)
駐車場:あり
入場料:大人900円、中高生600円,小学生400円,小学生未満無料
※団体割引あり
地域全体が遺産といっても過言ではない信楽「登り窯」
滋賀県の南東部、京都市内から1時間ちょっとの信楽エリア。信楽といえば、たぬきのイメージが強いけれど、朝宮茶やカフェなど、知られざる伝統文化や最先端のアプローチで時代をリードするスポットがどんどん増えている。その中で信楽のランドマークのような存在が、登り窯とカフェ、ギャラリーなどが併設された『Ogama(おおがま)』だ。※記事はOgamaのもの。
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ショップデータ
Ogama
■住所:滋賀県甲賀市信楽町長野947
■電話:0748-82-8066
■営業時間:11:00〜17:00
■定休日:平日の火〜木曜休※祝日の場合は営業
■駐車場:有り(8台)
■HP:http://www.meizan.info/ogama/(Ogama)
■HP:http://www.meizan.info/(明山窯)
■オンラインショップ:http://www.meizan.co.jp/
映画やドラマなどのロケ地にもなっている「舞鶴旧鎮守府倉庫施設」
赤れんが倉庫は、今から116年ほど前、1901年に旧日本海軍によって建てられたそう。魚雷庫、倉庫など旧海軍関連の施設をはじめ トンネルや橋脚などの生活基盤まで、舞鶴の近代化の礎がこの時に築かれたとか。文化財指定名称は「舞鶴旧鎮守府倉庫施設」で、国の重要文化財や近代化産業遺産にもなっているそう。
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舞鶴赤れんがパーク
電話:0773-66-1096
住所:京都府舞鶴市字北吸1039番地の2
駐車場:あり
イベント:映画「海賊とよばれた男」企画展示
開催場所 赤れんがパーク2号棟(市政記念館)1階および2階
開催日時 ~1月31日(火) 9:00-17:00
入場料:無料
“Text,Photo:中川 直幸”