兵庫県、生野の山の奥深くに「鉱石の道」と呼ばれるエリアがある。明延から神子畑、そして生野へと、鉱石や人、文化が運ばれた日本近代化の歴史と、現存する鉱山遺産群をつなぐ道のことだ。中でも生野銀山は多くの観光客が訪れる有名な観光地だけれど、遺産群の中でどうしても見てほしい遺産がある。全盛期には規模、生産量ともに東洋一と言われ、昼夜を問わず稼働し続けたことから「不夜城」と呼ばれる「神子畑選鉱場跡」だ。
東洋一の規模を誇った不夜城「神子畑選鉱場」
幕末・明治から近代日本の産業形成と発展において、重要な役割を果たした遺構に与えられる「近代化産業遺産」。「富岡製糸場」「軍艦島」などが有名で、現在も一大観光地として人を集めている。ここ「銀山の道」もそんな遺産群なのだけれど、遺構がバラバラと散らばっていることと、近くに天空の城と呼ばれる「竹田城」のインパクトに霞んでしまい「不夜城」と呼ばれた「神子畑選鉱城跡」ですら、休日や祝日でも、ほとんど人がいない。
元々、良質な鉱山資源が採掘されていたこのエリアは、明治維新後、西洋の技術を取り入れ近代化の模範鉱山として再開発された。
火薬による発破採鉱法、トロッコ軌道、鉱業用送水路、全盛期には約1300人が住んでいたそうで、子ども多く、日本で初めての鉱山学校も設立された。廃校となった施設は選鉱場跡に隣接している。
鮮やかな紅葉と寂しい廃墟のコントラストが美しい
東洋一と言われた「神子畑選鉱場」は、そのスケールの大きさに圧倒される。高低差およそ75メートル、22階建てビルに相当するという高さと、幅約110メートル、斜傾部の長さは約165メートルだという。施設が取り壊されていない時は、本当に城のような雰囲気だったに違いない。
すぐそばの「ムーセ旧居」では、歴史が書かれた資料が置かれていたり、閉山を惜しむ鉱夫が作ったミニチュアの「神子畑選鉱石場」の模型などが展示されているので、不夜城の姿を写真で拝める。また、この地を愛してやまない、地元の有志が廃墟の説明をじっくりとしてくれるのも面白い。
今秋は、色づく山に囲まれ、また違った一面を見せてくれる「神子畑選鉱場跡」で、廃墟巡りをするのもいいかもしれない。
神子畑選鉱場跡(みこばたせんこうじょうあと)
現在の日本文化のルーツを感じられる度 ★★★★★
■住所:兵庫県朝来市佐嚢
“Text,Photo:中川 直幸”