グラスサインというものをご存知だろうか。昔のイギリス映画の街なかのシーンで、ショーウインドーにキラキラと金色に輝くショップロゴ。そこに使われているのがグラスサインだ。日本でもたまに見かけることがあるかもしれない。しかし、日本で見かけるものは、ほとんどがシールでできている。本物は金箔や銀箔が貼られ、特殊な処理が施されており、機械ではなく全工程を職人の手によって作られている。ヨーロッパとアメリカでは、ガラス装飾分野の伝統工芸として200年の歴史を持ち、現在でも需要は多いという。特に有名なところでは、ルイ•ヴィトン、ラルフローレン、パラッツォ•ホテル(ラスベガス)、ACEホテル、全米のディズニーランド等がメイン看板などの重要な装飾として使用しているそう。エッチングや金箔などの全ての行程はガラスの裏側から施行される為、表面は凹凸がなく光の反射による美しさは格別なものがある。しかし、それを作り上げること自体が難しく、一朝一夕でできるものではない。現在、日本で唯一その施工の全行程をできる人がいる。それが宇治田原町で活動をしている片岡弘希さんだ。
笑顔の先駆者
片岡さんの制作現場を訪れたのは、9月上旬、大雨の日だった。その日は台風の影響で、川沿いの道路のすぐそこまで水がくるほど、宇治川は水位を増していた。彼の制作現場は、そんな宇治川を道沿いに上がった宇治田原町にある。少し道に迷ったので、片岡さんに電話をする。すぐ近くまで来ていたようで、雨の中、片岡さんが傘もささずに出迎えに来てくれた。
「わざわざ来ていたいてありがとうございます。今日は雨で大変やったでしょ。すぐそこなんで、車こっちに回してください」
雨に濡れながら、嬉しそうに出迎えてくれる姿は少年のようだった。
制作現場は、赤煉瓦の壁に、彼の初期の作品のグラスサインが埋め込まれたガラス、制作用の大きなテーブル、バーカウンターがあった。室内の装飾は、全て彼の手作りだという。
「この工場(こうば)は、まだまだ完成前なんですけどね」
と笑顔を見せる。工場内には複雑に混ざりあったムスクの香りがする。同じお香メーカーのものでNo.8を使っていたことがある、と話すと。
「あ、本当ですか、あれもいいですよね。ちなみにこれもいい香りですよ」
と、ひと袋プレゼントしてくれた。彼は、こちらが何を聞いても、楽しそうに答えてくれる。取材をしていると、こちらまで楽しくなってしまう。
ネットで「グラスサイン」と検索すると、日本だと片岡さんしか出てこない。海外の伝統工芸で、施工の難しさから、日本では教える人も教わっている人もいない。
グラスサインは一枚のガラスをエッチング(ガラスの表面を削り模様を作る事)することから始まる。そして金箔張り、銀引き(鏡の製作)、様々なペイントが施される。その行程は、すべて手作業で行われる。まさに看板の域を超えた芸術品だ。片岡さんは” 最高級の物作り” をテーマに掲げており、欧米の職人と同じく最高級素材を使用し、一切の妥協無く一枚のグラスサインを作り上げる。注文は、アンテナを広く張っている東京と、地元京都、大阪が中心と一見少なく思えるかもしれないが、それでも受け渡しまで3ヶ月待ちだという。
「今は、アメリカングラスサインズとして個人で制作をしているんです。そして来年2017年の4月から本格的に会社を起こして活動していく予定なんです」
起業の計画も考えられており、すでに一緒に働いてくれるパートナーも決まっているそう。グラスサインを広めていく準備を入念にしている冷静な片岡さんだが、この技術に出会った時は冷静ではいられなかったという。
あなたの弟子にして欲しい。でも、お金がないから、住み込ませて欲しい。食事も作る。
10年間、デザインや手書き製法の看板制作の仕事をしていた片岡さんが、グラスサインと出会ったのは3年前だそう。アメリカやイギリスの文化に興味があったという片岡さんが、勉強のために手に取った一冊の中に衝撃的なデザインがあったという。
「これなんですけど。このデザインを初めてみた時に、どうなってんねんコレ、てなって。それまでサインペイントには自信があったんですけど、この仕上げだけはどうやってもわからなくて」
「これを見た瞬間に、この人に会いたい。技術を知りたい、てなったんですよ。で、すぐにメール送ったんですよ。英語はわからないので、日本語で文章を書いて、それを友達に翻訳してもらって」
「その時のアツい気持ちを書きなぐって。俺はあなたの弟子になる、っていって。お金もないから住み込みさせて欲しい。食事も作るからお願いします。みたいなすごい図々しいことを書いて送ったんですよ(笑)」
「そしたら、返事がきたんですよ。びっくりしました。無視されるかと思ったんですけど、たぶんこいつ本気でくるぞ、ていうのが伝わったんでしょうね(笑)返事を送ってくださって」
「で、とにかく落ち着けって言われて(笑)それはそうですよね」
「その時は、全て捨ててもいいって思ってたんです。とにかくこの技術が学びたくて。アメリカに住んで、アメリカで活動していこうと思ってたんです。メールの内容も、僕はサインペイントができて、金箔を貼る技術もある、だからあなたの技術を学べるはずだ。僕はグラスサインをやりたいんだ。みたいな内容で」
「そしたら、アメリカで活動するんじゃなくて、日本でグラスサインを広めてくれって、言われて。日本にないなら大きなビジネスチャンスじゃないか。だからお前は日本で活動してくれって。お前の技術があるなら、俺が2ヶ月でグラスサインをできるようにしてやるから、って説得されて。そんなやりとりをメールで何度かして、初めてのメールから半年後にはアメリカに渡ってましたね」
「今までの経験があったのと、一日10時間の修行で、本当に2ヶ月で覚えて帰ってきて。そこからは自分で何度も繰り返して、イベントとかに参加して紹介して、仕事もちょっとずつ入るようになって、今があるという感じですね」
トラベラーズーハウスでの生活
片岡さんが街なかではなく、郊外の宇治田原町で制作をしているのは、アメリカでの生活も影響しているそう。
「師匠がローデリック・トリースっていう人なんですけど、ラルフローレンの仕事とか、ラスベガスのホテルとかの仕事をしているんですね。そんな師匠の家がめちゃくちゃ大きいんですよ。大きいなんてもんじゃなくて、カルフォルニアの田舎なんで、500坪くらいあるんですよ。その一角にトラベラーズーハウスがあるんですけど、僕はそこを使わせてもらって2ヶ月生活したんです」
「大自然なんですよ。師匠の家の周りが。その時は、修行はもちろんですけど、そんな田舎での生活も面白くて、自然のある場所っていいな、て思うようになりましたね。宇治田原町にきたのもその影響はあるんですよ」
逆境から挑戦し、夢を追い続けるということ
今まで技術を磨いてきた片岡さんは、これからもイベントに出場してグラスサインの本物の輝きを広めていきたいという。ここまで自分のやりたいことを見極め、続けてこられたのには理由がある。
「師匠も、昔サインペインターをしていたんですよ。で、色んなところでアーティストとして活動して、晩年にグラスサインの世界に入ったらしいんです。ずっとイベント出場もし続けて、今、アメリカですごいって言われてるんですけど、僕もそうなりたいので、これからもイベントとかに出て、アーティストとして活動をしていきたいですね」
「昔、サインペイントを始める時に言われたことがあったんですよ。芸大とかデザインの学校に行っていなくて、ストリートアートから徐々にできることを増やしていったんですけど。10代の後半で、サインペイントする、てなった時に、たまたま入った喫茶店のマスターが芸大卒業で。アメリカにも留学経験があった方だったんですけど。学校を出て基礎を勉強しなかったら、絶対に無理、て言われたんですよ。やめた方がいいよって」
「絶対やったる、見とけよ。ですよね、その時の感情は(笑)その時の気持ちは10年経った今も忘れないですね」
「10代の人に、アーティストとしてやっていきたい、みたいなことを言われることがあるんですよ。現状は何のスキルもないんですけど、それでも絶対挑戦した方がいい、て言い切りますもん。僕みたいな人間が言えた立場じゃないんですけど、僕も何とかなってますし、一度きりの人生ですしね」
「全然裕福な家庭に生まれたわけじゃないし、アートスクールに通ってもないんですけど、夢に真剣に向き合って、努力すれば道は開ける、と思ってます。やってる人がいるし、できないことはないですから」
「最初はなにもできなくて当たり前で、無理だと言われても、バカにされても挑戦し続けると、少しずつ不利な状況はひっくり返せるんですよ。こんなにシビれることはないですよ(笑)」
「まだまだ夢の途中なんですが、僕がもっともっと大きなステージに行くことや技術を向上させることで、アーティストを志す人や夢に向かって走る人に「俺もやれるかも。」って思ってもらえるような人間になりたいと思っています」
未来を見据える冷静な一面と、思い立ったら誰の意見も聞かずまっすぐ突き進む情熱的な一面をもつ片岡さん。一見、真逆の性格のようだけれど、その根底にはどちらにも必ずやり遂げてみせる、という強い気持ちが窺えた。これからいたるところで、彼の作品を見る機会が増えるかもしれない。昔の海外映画のワンシーンのような街並みを、ウインドーショッピングする日を考えるとちょっとわくわくしてしまう。
アーティスト 片岡弘希
American Glass Signs & Mirrors
Hiroki Kataoka Manufacturing & Co.
京都府綴喜郡宇治田原町岩山37-36
■email :info@americanglasssigns.com
■web:http://american-glass-signs.com
“Text,Photo:中川 直幸”